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  • ふんどしタコ坊主

ハッピーちゃんはじめての出産。


朝起きて、

山羊小屋のシャッターをあけてびっくり。


毛がふさふさの小型犬!?


っあがう!?(違う)


・・・産まれてる!


そこには

赤いヘソの尾をたらしたままの子山羊が、お尻のしっぽをふりふりさせて立っていました。


窓から射す太陽の光を浴びてピョコピョコと歩き回る姿。




想像していた出産シーンや、生まれたての山羊の赤ちゃんのイメージが、スキップされました。


はやいっ。


その早さにびっくり。


動物の赤ちゃんは産まれてすぐ歩きだすなんて聞いたことはあったけど。


人間の赤ちゃんなんて1ヶ月たってもまだまだフニャフニャの赤ちゃん。


目の前の子山羊は、既にもう立派な小型犬。


立ってるし。

ピョコピョコ歩く。

おっぱいを自分から飲みにいく。


昨晩、暗くなってから山羊小屋のシャッターを閉めた時は、まだいつもの光景。

干し草をあげて、リンゴをあげてお休みなさい。


ということは昨日の真夜中?

または早朝に産まれたのか。


母となったハッビーちゃんは、昨日までのぽっこりした横腹がベッコっと凹んでる。

お尻にはまだ血。


じ~ん。。

がんばったね~。。

ハッピー。


メェ~。


いつも俺を呼ぶメェ~とは違う声。


ェ~。


子山羊が応える。


じ~ん。。


親子になってる。。



つい2年前に出会ったばかりの頃。

まだ子山羊だったハッピーリボンちゃんは、ここいらの草を食べてみるみる成長し、去年の秋には妊娠し、今やお母さん(4歳)となってお乳をあげている。


はやいっ。


人間とはまるで異なる成長の早さ。


感動して、山羊小屋がキラキラとした神聖な場所に変わりました。



ふと、小屋の角の影に目を向けると、黒と白の毛の塊。。


横たわって、動かない、もう一頭の子山羊が死んでいました。



深く息を吐きながら

頭の中に浮かぶ光景。


いつ、どのようにして、この子山羊たちが生死を分けたかを知る術もない。


目の前に同時に現れた生と死を、受け止める。



つい先週。


富山から友人が遊びにきました。

友人の旦那さんはパキスタン人で、お国の祭りの日にみんなで集まって食べる夕食(カレー)の食材として買ってきた雄山羊。


どういう経緯か、カレーになることをまぬがれ、マロンちゃんと名付けられ、飼われることに。


住宅地での飼育はいろいろと難しかったようで、その後、人に預けられていたところを、年頃となったハッピーちゃんのお婿さんとしてこの地に呼ばれたのでした。


ハッピーよりも痩せ細り、怯えてプルプルしていたマロンちゃんは、ここいらの野草山菜をモリモリ食べて、自分はもう食われる心配はないと悟ると、みるみる大きくなりました。


マロンちゃんという小型犬のような名前にも違和感を感じるくらい大きくなったので、

褐色の体と立派な角に見合う、強そうな名前が良いだろうと改名。


ベン・ジャクソン。


そんなベンの成長の様子をうかがいに、里親の友人は来てくれたのだ。


五月にまたお祭りがあるからと、パキスタン人の旦那が言うそうな。。


名前をつけて毎日一緒に過ごしている家族。いまさらカレーの具にするのはさすがにムリ。


ならば、産まれてきた子山羊が雄だったら引き取るよと。


それも勘弁。。


山羊の雄は食べられる運命を背負っているようだ。



はじめての山羊の出産。


近くに畜産大学を出てるという知人が家畜の出産の知識と経験があるそうで、出産の際に声かけてくれれば助けになるよと言ってくれた。ありがたい。


しかし。。


・・いつ?


人間の場合、「お印がきた」なんていうけど、毎日一緒に暮らしていても、物言わぬ動物。

いつ産まれるかなんてわからない。



正確な妊娠の時期もあいまいだし、山羊牧場のお兄さん曰く、だいたい3月くらい?


う~んどうしたものかと。


そこはやはり、パキスタン人に聞いてみよう。


カレーを作るのに山羊を買うくらい、パキスタンでは山羊が一般的にも飼われてるので、山羊の出産も暮らしの一部。知識も経験も豊富にある。


電話にて。


「そろそろ産まれる頃なんだけど、どうしたらいいの?」


「何もしなくていいよ。」


「準備は?へその緒とか切らないの?」


「何もしなくていいよ。」


「何もしなくていいの?」


「勝手に産むから大丈夫だよ。」


「大丈夫なの?」


「何もしなくていいよ。」



・・そういうもんなのか。



実際、このあたりで見かけるも猫も、毎年、何もしなくても子供を生んでいる。


山の野性動物たちも、人が手を貸すこともなく、何もしなくても子を産み、生きている。


それが、自然。


人はどうだろう。

産婆さんやお医者さんの助けを借りる。


遠いご先祖さん。

野生に生きる原始人は?

お湯もわかさず、動物と同じように産んでいたんだろう。


ご先祖さんたちは、何世代前までそうした出産をしてきたのだろうか。

死産も今よりもずっと身近なことだったんだろう。


死と隣り合わせの出産を母子共に乗り越えて

、その幾世代の延長線に生きる今日の自分。




2月22日。


生まれてきた子山羊と死んだ子山羊。


手を貸すことができたら、もしかすると。。

そういうことも思ったけれど。


濡れたままの毛の塊と小さく丸まって固くなった姿、ありのままを受け止めて。


この世界に生まれてきた新しい生命を祝う。



このあたりはまだまだ雪が深く積もっていて、土に埋めることもなかなか難しい。

海に流すか、それよりも、小屋に近いところで焼いてあげたい。


薪を集めて火をつけると、太陽の光を浴びた煙は風になって空に消えてゆく。


ガンジス川のほとりで見た光景を思い出しながら焼いていくと、夕方には真っ白な灰に。


またどこかで逢えるでしょう。



つい先週は、嫁方の90歳になる婆さんが自宅で眠ったまま亡くなられた。


初めて葬式に出席した子供たちは、目の前にある死と魂の抜けた体、骨と灰になったひいばあちゃんを見て何を感じただろう。


4歳になる息子はその日から毎晩、どうしたら死ぬの?

生まれ変わるの?

お母さん死なないで。

おばあさんにならないで。


6歳になる娘は、魂、生まれ変わり、輪廻というお話を興味を持ってきく。


人間も動物も昆虫も植物も。

みんな生まれて死ぬ。


生と死が身近にある状態。それが自然。


目に見える肉体。

目に見えない魂。


この世に生まれて沢山の苦楽、廻る生死を経験し、魂を意識して理解するほどに、愛は深まる。




夜になるとまだ寒い。


生まれたての子山羊は寒くないかしら?


湯タンポを持って小屋をのぞくと、毛布の上で小さくなって眠る子に、ぴったりと寄り添ってハッピーが寝ていました。


じ~ん。。


ちゃんとお母さん。



ところで、名前は何にしようか?


子供達に聞くと即答。


「ハッピーうさぎ!」


「ねこしろう!」


ん~。。。




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